大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋地方裁判所 平成元年(ワ)772号 判決 1990年7月13日

原告 石井壽美子

<ほか二名>

右三名訴訟代理人弁護士 齋藤勉

被告 梅田源一郎

右訴訟代理人弁護士 加藤洪太郎

同 中谷雄二

主文

一  原告らが被告に賃貸している別紙物件目録記載の建物の賃料は昭和六四年一月一日以降一か月金三万円であることを確認する。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その四を原告らの、その余を被告の各負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

(原告ら)

一  原告らが被告に賃貸している別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)の賃料は昭和六四年一月一日以降一か月金一〇万円であることを確認する。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決。

(被告)

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決。

第二当事者の主張

(原告らの請求原因)

一  原告らは、その先代が昭和二八年二月に本件建物を被告に賃貸して以来、被告に対し本件建物を賃貸してきた。

二  本件建物の最近の賃料の経過は次のとおりである。

昭和五七年四月分以降 金二万円

昭和六〇年四月分以降 金二万四〇〇〇円

三  その後、本件建物の賃料は次の事情により不相当となり、昭和六四年一月一日現在の相当賃料額は一か月金一〇万円である。

1 本件建物については、最近まで地代家賃統制令の適用があり、そのため賃料は時価相場よりはるかに低廉であった。統制令が撤廃された現在、本件建物の賃料も時価相場に増額されるべきである。

2 本件建物の敷地(一筆の土地としては西区名駅二丁目二三〇五番宅地七三〇・三九平方メートル―以下これを「二三〇五の土地」という。そのうち、本件建物のみの敷地部分を「本件敷地」という。)の価格は著しく高騰している。

二三〇五の土地の固定試算評価額の上昇は、次のとおりである。

昭和六〇年度 金三七一〇万九六五五円

昭和六三年度 金四五二四万〇三五六円

3 二三〇五の土地の公租公課は次のとおり増額された。

固定資産税 昭和六〇年度 金二〇万四五一一円

昭和六三年度 金三〇万五七四一円

都市計画税 昭和六〇年度 金九万五二七一円

昭和六三年度 金一二万二四六一円

四  そこで、原告らは、昭和六三年一二月二七日、被告に対し、本件建物の賃料を昭和六四年一月一日以降一か月金一〇万円に増額する旨意思表示した(以下「本件増額請求」という。)。

五  よって、原告らは、本件建物の賃料が昭和六四年一月一日以降一か月金一〇万円であることの確認を求める。

(請求原因に対する被告の認否・反論)

一  請求原因一、二、四項の事実は認める。

二  同三項は争う。

三  (反論)

1 元来、本件建物の賃料は地代家賃統制令とは無関係に、これを越えるところで定められてきており、原告は、同令を遵守する意思など全くなかったものである。

そのうえ、本件建物の床面積は九九平方メートルを越えており、地代家賃統制令の適用がないことが判明した。

したがって、地代家賃統制令により賃料が低廉に抑えられていたことを根拠とする原告らの主張は理由がない。

2 原告らは、本件建物を含む一団の原告ら所有地上の貸家、工場等を取り壊して、貸店舗兼集合賃貸住宅と原告方工房等を新築し、多額の収入を得ようと計画し、そのために、大方の借家人に対しては立退料を支払って明渡を得てきた。

原告らは、被告に対しても、正当な理由もないまま立退料を提示して明渡を求めてきたが、被告としては、立退自体が不本意であるうえに、立退料提示額にも大きな不満があったので、原告らの求めを拒否した。

原告らの本訴請求は、右明渡が容れられなかったため、一種の経済的圧力を加えて明渡の実現を図ろうとする意図あるいは報復的意図に基づき、提起されたものである。

3 被告は、妻と共に、三六年の人生を本件建物で送り、その人間関係・生活の仕組みはこの地をはなれては成り立たない。高齢(八二才、妻七七才)に達し、九四万円余の年金で慎ましい生活をしている。

4 近時の我が国の地価の高騰は異常な水準にあり、その抑制が緊急の課題となっており、立法府、行政府ともにその対策を検討・実施している。このような情勢下で、司法権のみが地価高騰を無批判に賃料改定の根拠に加えることは許されない。

5 本件建物の近隣の建物の賃料額と比べると、本件建物の賃料はむしろ高水準にある。このことからすると、本件建物の現行賃料は適正であり、増額の必要はない。

第三証拠関係《省略》

理由

一  請求原因一、二、四項の事実は当事者間に争いがない。

二  右の争いのない事実に、次の(ア)(イ)の各証拠及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の1ないし9の各事実が認められる。

(ア)  《証拠省略》

《証拠省略》

(イ)  《証拠省略》

1  本件敷地を含む二三〇五の土地は、各種交通機関の集中するJR名古屋駅の北方約六五〇メートルに位置し、名古屋駅が中心とする高度商業地域の外縁部にある。西方には、幹線市道「名駅通」が近接し、名古屋駅前と連続して商店街を形成している。本件敷地を含む地域は、右の幹線道路の背後に位置し、中小規模の住宅、事務所、店舗等が混在して建ち並び、近隣の中では地域開発が遅れていると目され、今後開発が進むものと見られている。公法上の規制としては、商業地域、準防火地域の指定を受けている。二三〇五の土地の実測面積は七二三・七一平方メートルある。

そのうち本件敷地は、南西側で幅員約五・五メートルの舗装市道に面し、間口四・九メートル、奥行一五・三メートル、実測面積七四・九七平方メートルの画地である。

2  本件建物は五戸建一棟の建物の一部であったが、後記のとおり他の借家人は、立退料の支払を受けて明渡し、原告らはその明渡を受けた部分を取り壊した。そのため、本件建物と北側の一戸だけが残存した形となった。

本件建物は、昭和初期以前に建てられ、相当老朽化し、経済的な残存耐用年数は五年程度と目され、また、住宅としての様式・機能面においても不十分な面が出てきている。

本件建物の維持補修のための内外装修繕工事は、専ら被告側において行ってきた。

また、本件建物は、もと地代家賃統制令の適用のある建物であったが、昭和三〇年代半ばに被告が裏庭部分に台所・食堂を増築して、床面積が実測一〇二・三二平方メートルとなり、同令の適用対象外の建物となった。もっとも、右以前においても、同令に則って賃料が定められていたとの資料はない。

3  被告は昭和二八年二月に原告らの先代から本件建物を賃貸して以来三八年間、ここに居住している。右賃借にあたり一時金の授受はなかった。

本件建物の賃料は、原告側の増額要求に応じて、順次増額改定され、近年はほぼ三年毎に増額されてきたが、昭和五七年四月分からは金二万円、昭和六〇年四月分からは金二万四〇〇〇円に増額されてきた。

被告は八三才に達し、妻(七八才)と二人で、月額七万円余の年金で慎ましい生活をしている。

4  原告らは、本件敷地及び隣接の原告ら所有地上の多数の貸家、工場等を全部取り壊して、貸店舗兼集合賃貸住宅と原告方工房等を新築することを計画し、昭和六三年七月頃から、各借家人と交渉に入り、大部分の借家人に対しては一四〇〇万円ないし一八〇〇万円程度の立退料を支払って賃貸借契約を合意解除し、明渡を得てきた。

原告らは、被告に対しても、他の借家人と同様に明渡を求めたが、被告としては立退自体が不本意であり、立退料の額にも大きな不満があったので、原告らの求めを拒否した。

そこで、原告は、計画を一部変更し、本件建物の敷地部分を除外して工事を行うこととするとともに、被告に対しては賃料の増額を求めることとして、昭和六三年一二月二七日本件増額請求をし、平成元年三月本訴を提起した。その後原告らは、明渡を受けた建物等を取壊し、変更後の計画に基づき既に新築工事を開始した。

5  被告らは、原告らの本件増額請求に対し、賃料は一か月金三万円が相当であると考え、これを原告代理人宛に送金し、その後平成元年四月頃以降は消費税相当分を加算して金三万〇九〇〇円を送金してきている。

6  前々回の賃料改定の始期である昭和五七年四月一日及び前回の賃料改定の始期である昭和六〇年四月一日以降の物価、公租公課等の変動状況は次のとおりである。

① 消費者物価指数(全国)総合指数……六〇年平均=一〇〇

昭和五七年四月 九三・七

同六〇年四月 九九・七

同六四年一月(推定) 一〇一・七

② 消費者物価指数(全国)家賃指数……六〇年平均=一〇〇

昭和五七年四月 八九・八

同六〇年四月 九九・三

同六四年一月(推定) 一〇九・四

③ 六大都市市街地価格指数(住宅地)……五五年三月末=一〇〇

昭和五七年四月 一一七・九

同六〇年四月 一三三・八

同六四年一月(推定) 二五二・三

④ 本件敷地の固定資産税評価額

昭和六〇年度 金三七一〇万九六五五円

昭和六三年度 金四五二四万〇三五六円

⑤ 公租公課(二三〇五の土地の固定資産税及び都市計画税)

昭和六〇年度 金二九万九七八一円

昭和六三年度 金四二万八二〇二円

実測面積比で本件敷地に対応する額を算出すると、

昭和六〇年度 金三万一〇五四円

昭和六三年度 金四万四三五七円

7  鑑定人(不動産鑑定士)近藤浩は、昭和六四年一月一日時点での本件建物の適正継続賃料につき、次のとおり評価・算定し、結論として金三万五〇〇〇円(月額。なお、以下、賃料額は月額で示す。)をもって鑑定評価額としている(本件鑑定結果)。

① 差額配分法による試算賃料 金一〇万四二〇〇円

本件敷地の基礎価格金五七三〇万七〇〇〇円と本件建物の積算価格金一〇一万三〇〇〇円との合計額に年五%の期待利回りを乗じ、これに公租公課と本件建物の減価償却分との合計年額二五万二〇〇〇円を加算して、本件敷地・本件建物の経済価値に即応した賃料を金二六万四〇〇〇円と求める。この賃料と現行賃料金二万四〇〇〇円との差額の三分の一を貸主帰属部分として、現行賃料に加算する方式によって算出した。

② スライド法による試算賃料 金二万九一〇〇円~金三万一五〇〇円

前々回及び前回の賃料改定時の賃料額を、昭和五七年四月あるいは昭和六〇年四月から同六四年一月までの前記6記載の①消費者物価指数、②家賃指数及び③六大都市市街地価格指数の各変動率の平均値(ただし、比重は①が三、②が四、③が三とする。)に比例して変動させて算出した。

昭和五七年四月からの平均変動率一・四五五によると金二万九一〇〇円

昭和六〇年四月からの平均変動率一・三一三によると金三万一五一二円

③ 平均利回り法による試算賃料 金二八万七〇〇〇円

社団法人日本不動産鑑定協会中部会の行った平成元年二月「賃料利回りの実体調査報告書(第二回)」によって、愛知県住宅・商業地、名古屋市商業地、名古屋市住宅地の平均的な粗賃料利回りを五・九パーセントと求め、これを本件敷地・本件建物に適用して、算出した。

④ 賃貸事例比較法による試算賃料 金一万二六〇〇円~金二万七〇〇〇円

近隣地域及び周辺類似地域における継続賃料の事例を比較考量して算出する。本件建物の近隣には、借家が多く、本件建物と同時期に賃貸借を開始した類似の賃貸事例も得られた。個別事情により開差は大きいものの、概ね七〇〇円~一五〇〇円/建坪が水準と判断され、これに基づき算出した。

③ 各試算賃料の調整と鑑定評価額の決定

右各試算賃料の特質、長短等を考量して、本件では、地価の上昇に大きく依存している平均利回り法は参考として斟酌する程度として、継続性・安定性を主要素とするスライド法を中心に捉えることとし、差額配分法を上限として商業地域に所在する一般住宅については若干高めの賃料上昇も土地の高度利用の観点からある程度やむをえないとして、さらに賃貸事例比較法を下限として考慮して、本件の適正継続賃料を金三万五〇〇〇円と算定する。

8  被告が平成元年五月に本件建物の近隣の同種同規模建物で長期継続賃貸借の事例七例の賃料を調査したところ、月額八〇〇〇円ないし三万六三〇〇円、建坪当たり約四七〇円ないし二〇六〇円であり、被告の送金している三万〇九〇〇円は建坪当たり約一七〇〇円となり、右各事例の幅の中でかなり高水準のところにあった。

9  近時の我が国の地価の高騰は、異常な水準にあり、その抑制が緊急の課題となり、国及び地方公共団体において各種施策が検討・実施されてきている。特に名古屋市を含む大都市の商業地で高騰が激しく、本件敷地も名古屋市中心部の商業地域にあり、価格の高騰は著しい。

三  右認定の事実関係によれば、本件建物の賃料は、公租公課の増額、諸物価の上昇等により、原告らの増額意思表示にある昭和六四年一月一日当時においては、不相当となったものと認められる。

四  そこで、本件建物の適正賃料額について検討する。

1  前記二項7の鑑定人近藤浩の本件鑑定結果は、その賃料算定の基礎資料、各試算賃料の算出経過には格別不適切な点は見当たらない。

2  そして、前記二項2ないし4で認定した本件賃貸借の経緯、原告側の増額要求に応じて逐次賃料が増額されてきたこと、前回の賃料増額から今回までさほど長期間が経過しているわけではないこと、本件建物の状況、被告において本件建物を修繕してきていること並びに二項6認定の各種指標の変動状況等の諸事情に鑑みると、本件鑑定結果がスライド法を中心に据えて賃料額を調整・算定する手法を採っている点も基本的には妥当なものと解される。

3  しかし、前記認定のところから明らかなとおり、本件鑑定結果にある差額配分法試算賃料及び平均利回り法試算賃料は、著しく高騰している本件敷地の価格を中心的な基礎に置いて算出されているのであるが、本件建物の状況や被告の利用態様・生活状況等に照らすと、被告にとっては右の地価高騰による効用の増大は全くといってよい程期待できないものであり、このことに、本件賃貸借はさほど長期にわたって継続するものとは予測しがたいこと、前記スライド法においても地価の変動率を三割の比重で考慮することによって貸主の経済的立場・利害も斟酌していること及び地価高騰に対する前記のような現今の公的対応等の事情を合わせ考えると、本件の場合、適正賃料額の算定に当たって、右差額配分法試算賃料額及び平均利回り法試算賃料額を加味することは相当でないというべきである。

4  そこで、以上認定判断したところを総合考慮すると、本件建物の昭和六四年一月一日時点の適正賃料額は、前記スライド法試算賃料(金二万九一〇〇円~金三万一五〇〇円)を基に、二項5記載の被告の自主的な送金額(金三万円、後に金三万〇九〇〇円)及び公租公課の増額程度を勘案して、月額金三万円と認めるのが相当であり、これは、本件鑑定結果の賃貸事例比較法による試算賃料及び二項8記載の被告の調査した賃料事例に対比しても、妥当な水準内にあるといってよいものと解される。

5  そして、以上の認定判断を左右するに足りる証拠はない。

五  そうすると、本件建物の賃料は、原告らのした前記賃料増額の意思表示(本件増額請求により、昭和六四年一月一日以降一か月金三万円に増額されたものというべきである。

六  してみれば、原告らの本訴請求は、本件建物の賃料が昭和六四年一月一日以降一か月金三万円であることの確認を求める限度で正当として認容すべきであり、その余は失当として棄却すべきである。

七  よって、原告らの本訴請求を右六に判示した限度で認容し、その余は棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 渡辺修明)

<以下省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例